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東京地方裁判所 平成9年(ワ)15000号 判決 1999年10月27日

原告

山本一彦

被告

佐藤慎也

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金一一六五万六六四六円及び内金一〇五五万六六四六円に対する平成七年五月一三日から、被告佐藤慎也においては内金一一〇万円に対する平成九年八月八日から、被告株式会社東京映材においては内金一一〇万円に対する平成九年八月二日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、二分の一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自金二五〇〇万三五二五円及び内金二二〇三万三五二五円に対する平成七年五月一三日から、被告佐藤慎也においては内金二九七万円に対する平成九年八月八日から、被告株式会社東京映材においては内金二九七万円に対する平成九年八月二日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、普通貨物自動車が普通乗用自動車に追突した交通事故について、被害車両の運転者が、加害車両の所有者及び運転者に対し、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げた事実以外は争いがない。)

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生日時 平成七年五月一三日午前一〇時ころ

(二) 事故現場 東京都新宿区新宿三丁目一五番一七号先路上

(三) 被害車両 原告が運転していた普通乗用自動車(練馬三三や六一二)

(四) 加害車両 被告佐藤慎也が運転していた普通貨物自動車(練馬四六ほ六二六七)

(五) 事故態様 原告が乗車して停車中の被害車両に、加害車両が追突した。

2  事故後の治療経過

原告は、本件事故後、次のとおり通院した(甲七、八、九一、九二、九四、九五、九六の2)。

(一) 東京女子医科大学病院(以下「東京女子医大病院」という。)

平成七年五月一五日、同年八月七日(実日数二日)

(二) 医療法人社団済安堂井上眼科病院

平成七年六月二八日から平成八年九月二五日(実日数一四日)

(三) 医療法人社団博秋会安藤整形外科

平成八年九月七日から平成九年二月一〇日(実日数九日)

(四) 東京慈恵会医科大学附属病院(以下「慈恵医大病院」という。)

平成八年一二月三日から平成九年二月四日(実日数八日)

3  責任原因

(一) 被告佐藤慎也は、前方注視義務を怠って漫然と加害車両を進行させて本件事故を発生させた過失がある。

(二) 被告株式会社東京映材(以下「被告会社」という。)は、加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していた。

二  争点

1  本件事故と相当因果関係のある治療

2  原告の後遺障害の有無及び程度

3  寄与度減額の適否

4  原告の損害額

第三争点に対する判断

一  本件事故と相当因果関係のある治療(争点1)

1  原告の負傷内容及び治療経過

証拠(甲二~九、八九、九一、九五、九六の1~4、一七二、乙二、三、四、五、六の1~6、九、原告本人、調査嘱託の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 被害車両は、トヨタチェイサー・アバンテであり、本件事故により、左後部を中心に、修理費として四四万六一九六円を要する損傷を被った。

加害車両は、トヨタのバンであり、本件事故により右前部を中心に、修理費として二二万〇五四三円を要する損傷を被った。

(二) 原告(昭和二七年一二月一八日生)は、事故当日(平成七年五月一三日)はそれほど痛みはなかったが、翌日になってうなじ、頭、肩にも痛みが拡大し、少し吐き気も生じた。そこで、翌一五日、東京女子医科大学病院で診察を受けたところ、頸椎捻挫の診断を受けた。

その後、頸部痛、頭痛、吐き気などは続いたが、有限会社丸榮堂で社長付けの自動車運転手として勤務を続け、通院をしなかった。

(三) 平成七年六月に入ると、右の症状は多少緩和されたが、同月二八日ころ、自動車を運転していて物が二重に見えるようになり、同日、井上眼科病院で診察を受けたところ、右中心性漿液性網脈絡膜症との診断を受けた。

中心性漿液性網脈絡膜症とは、中年男性の片眼に生じる黄斑部を中心とした漿液性の局所性網膜剥離(浮腫)であり、精神的ストレスが原因で起こることがある。

原告は、この症状により、運転は危険であると考え、同年七月八日をもって丸栄堂を退社した(ただし、給与については、同月末日までの分について支給を受けた。)

原告は、井上眼科病院に概ね月に一回程度の通院を続けて平成八年三月までに実日数にして一〇日通院した。このころは、症状が改善してきたが、その後、症状が再発し、同年九月二七日までさらに四日間通院治療を受けた。中心性漿液性網脈絡膜症の治療は、その部位の関係でレーザー治療を行うことができず、薬物投与による治療が行われた。

井上眼科病院の藤川王哉医師は、本件事故による頸椎捻挫に起因して、中心性漿液性網脈絡膜症を発症した可能性が十分あるとの診断をしている。

(四) 原告の中心性漿液性網脈絡膜症は次第に緩解してきたが、それとともに、再び頸部痛などが悪化した。そこで、平成八年九月七日から安藤整形外科に通院し、介達牽引及び消炎鎮痛措置による治療を受けるようになり、平成九年二月一〇日までに実日数にして九日間通院した。

この間、頸部痛、頭痛、腰部痛、上肢のしびれなどを訴え、平成八年一二月三日から、慈恵医大病院で診察治療を受けるようになった。原告は、最近になって難聴を自覚するようになったとも訴えていたが、ジャクソンテスト及びスパーリングテストはいずれも陰性であった。X線検査では、第五、第六頸椎に狭窄が認められたが、同病院整形外科の金潤壽医師は、この狭窄が加齢によるものか外傷によるものかは特定できないとの意見であった。原告は、同病院の耳鼻咽喉科でも診察を受けていたが、同科の医師は、自律神経系の機能低下及び頸部反射の亢進が疑われ、本件事故との因果関係は不明であるとの意見であった。

原告は、同年一二月九日午前二時ころ、めまいや吐き気により救急車で慈恵医大病院に搬送された。しかし、神経学的所見は特に認められず、医師は、頸性のめまいについて否定的な意見であった。

そして、原告は、頭がくらくらするなどの症状が続き、平成九年二月四日、ふらつき、めまい、左手足のしびれが残存して症状が固定した旨の診断を受けた。なお、他覚的には、MRI所見で軽度の脊柱管狭窄と第七頸椎に血管腫の疑いが認められたが、金医師は、先のとおり、脊柱管狭窄の原因は特定できず、また、血管腫とこの時点での症状の関連性は低いとの意見であった。

(五) 原告は、症状固定の翌日である平成九年二月五日、就寝しようとした際に、眼前の視野が狭窄し、意識が遠のくような発作が生じた。同月一一日にも、めまいや左足の痙攣により救急車で慈恵医大病院に搬送され、医師は、CT検査での画像所見に問題がないので、自律神経の問題ではないかと推測していた。なお、意識消失については、それほど問題ないとのことであった。

原告は、その後もときどき通院をし、金医師の指示により慈恵医大病院精神神経科でも診察を受けるようになった。その後も、首痛、ふらつき、しびれが強くて歩行しても千鳥足になってしまうことなどがあり、同年五月三〇日、同病院精神神経科医師から、頸椎捻挫による不安、緊張状態との診断を受けた。そして、現在も、肩に物を担ぐと、左足がしびれて動けなくなるなどの状況にあり、依然、投薬治療を続けており、この効果により症状はやや緩和されている。

(六) 金医師は、原告に残存した症状に関し、概ね次のとおりの意見を有している。

原告の主訴は、主に自律神経機能の異常に起因するもので、事故後の経過をも考慮すると、本件事故により発症したバレー・ルー症候群と考えられる。特に、事故後一年以上を経過しても、症状が残存していることからして、二次性のバレー・ルー症候群であり、神経根症状や心因症状もあると思われる。バレー・ルー症候群の診断においては、整形外科のみならず、耳鼻科、眼科などの他科との総合判断が必要と思われるが、原告は、慈恵医大病院受診前に眼科での受診をしており、慈恵医大病院においても、耳鼻科の受診をしている。

(七) むちうち損傷のうち、バレー・ルー症状型は、後部頸交換神経症候群といい、後頭部や後頸部の痛み、みまい、耳鳴り、視力障害、眼精疲労、顔面・腕・咽頭部の知覚異常などの症状があり、胸部の圧迫感などの心臓の症状を訴えることもある。

以上の事実が認められ、他に、これを左右するに足りる証拠はない。

2  裁判所の判断

(一) 1の認定事実(事故直後の後頸部等の痛み、軽度の吐き気、事故後一か月ほどからの右中心性漿液性網脈絡膜症の発症、難聴の自覚、めまいや吐き気を原因とする救急車での搬送、残存するふらつき、めまい、左手足のしびれなどの原告の症状の経過、バレー・ルー症候群であるとの金医師の意見、バレー・ルー症候群の一般的内容)によれば、原告の症状は、主として、本件事故により発生したバレー・ルー症候群であると認めることができる(神経根症状についても、ある程度複合的に影響している可能性も否定できないが、少なくとも、それが主であるとは認められない。)。

したがって、症状固定時までの東京女子医大病院、井上眼科病院、安藤整形外科、東京慈恵会医科大学病院での治療は本件事故と相当因果関係がある。

(二) 被告は、井上眼科病院で通院治療を受けた右中心性漿液性網脈絡膜症は、本件事故と因果関係がないと主張する。

しかし、中心性漿液性網脈絡膜症は精神的ストレスが原因で起こることがあり、原告には、事故後まもなく、頭痛、吐き気などの自律神経系の障害をうかがわせる症状が生じていて精神的ストレスの原因となる事情は存在していたといえる。井上眼科病院の藤川医師は、本件事故による頸椎捻挫に起因して右症状を発症した可能性が十分あるとしているし、本件全証拠によっても、他に原因として考えられる事情は見あたらない。

そうすると、右中心性漿液性網脈絡膜症の発症は、本件事故と相当因果関係があるというべきであるから、被告の主張は採用できない。

二  原告の後遺障害の有無及び程度(争点2)

1  原告の主張及び裁判所の判断

原告は、残存したふらつき、めまい、左手足のしびれなどの症状は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表の後遺障害等級第一二条一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当し、症状固定時から二三年間にわたり一四パーセントの労働能力を喪失したと主張する。

原告は、事故後の症状により自動車の運転は危険であると考え、運転手として稼働していた勤務先を退職しており、症状固定時には、本件事故に起因するバレー・ルー症候群によるふらつき、めまい、左手足のしびれが残存した上、症状固定後も、めまい等で救急車で搬送されたほどで、投薬でやや緩和された状態にあるとはいえ、その症状には頑固性を認めることができる。

したがって、原告に残存した症状は、本件事故と相当因果関係があり、その程度は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表の後遺障害等級第一二条一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するというべきである。そして、これが自律神経系の障害であること、心因的な要因も関わっていることからすると、将来の緩解可能性も考えられないではないが、他方で、症状固定時から二年以上経過した時点においても、症状固定時と変化のない状態であることなどの事情を考慮すると、原告は、症状固定時(四四歳)から一〇年間にわたり、労働能力を喪失したと認めるのが相当である。

2  被告の反論の検討

被告は、原告の診察及び検査結果のうち、他覚所見である軽度の脊柱管の狭窄及び第七頸椎の血管腫の疑いは、前者が加齢変化であり、後者は本件事故との関連が極めて少ない。結局、原告の症状は自覚症状のみであるといえるから、残存した症状は後遺障害とは認められないと主張する。

1で認定した事実によれば、原告が指摘する軽度の脊柱間の狭窄及び第七頸椎の血管腫の疑いについては、右のとおり評価することはできる(ただし、軽度の脊柱管狭窄は、加齢変化の可能性があるにとどまる。)。しかし、これは、明確な神経根症状の存在を裏付けられないというにとどまるもので、自律神経系の症状と本件事故との因果関係を否定する理由にはならない。また、原告の主訴の内容は、自律神経系の障害を裏付けるものといえるし、そもそも、そのような障害は、画像所見などで確認することはできないと思われるから、そのような他覚所見がないことは、後遺障害を否定する理由にはならない。

したがって、被告の主張は理由がない。

三  寄与度減額の適否(争点3)

(一)  被告の主張

被告は、後遺障害が認められるとしても、それには、原告の不安緊張状態等の心因症状が寄与しているから、それを寄与度として損害額の算定において、減額考慮されるべきであると主張する(この主張は、後遺障害のみならず、治療経過全体に対する主張と理解することができる。)。

(二)  裁判所の判断

原告は、頭痛や吐き気などの症状が緩解してくると、眼科の症状が発症し、それが緩解してくると、再び、頸部痛などの症状が悪化してくるなど、その症状は、一進一退を繰り返しながら全体として緩解するどころかむしろ悪化してきたといえるほどであり、外傷における通常の回復経過を辿っているとは言い難い。また、治療期間は、症状固定時まででも約一年九か月に及んでおり、被害車両と加害車両の破損状況や、事故直後の診断からすると、治療が遷延化していることは否定できない。

これらの事情に加えて、原告が、精神神経科において、不安緊張状態である旨の診断を受けたこと、金医師も心因症状を肯定していることを併せて考えると、原告の症状は、バレー・ルー症候群による本来の症状に加え、原告の心因的要因が重なって、より深刻な状態になったと認められ、心因的要因が寄与した割合は三〇パーセントとするのが相当である。

したがって、民法七二二条二項を類推適用し、原告の損害額を、右の寄与割合に従って減殺するのが相当であるから、被告の主張はその限度で理由がある。

(三)  原告の反論の検討

原告は、不安緊張状態も頸椎捻挫によるもので、後遺症のひとつであるから、これも、すべて本件事故に基づくものであるとして、寄与度減額を否定すべきであると主張する。

右(二)の判断は、もとより、原告の不安緊張状態と本件事故との相当因果関係を否定するものではないが、こうした負傷をした者がすべてこのような状態に陥るとはいえないから、損害の公平な分担の見地からは、それによる症状のすべてを加害者が負担するのは相当とはいえない。

したがって、原告の主張は理由がない。

四  原告の損害額(争点4)

1  治療費(請求額四四万二五八五円) 二七万七九一五円

原告は、症状固定日である平成九年二月四日までの治療費(文書料を含む。)として二七万七九一五円を負担した(甲一三~五七、弁論の全趣旨)。

原告は、症状固定後の治療費も本件事故と相当因果関係があると主張するが、症状固定後の治療費は、症状を悪化させないために必要な治療であると認めるに足りる証拠はない(原告は、本人尋問において、薬物投与を受けないと、車椅子生活になってしまうかのように供述するが、それを裏付ける証拠はない。)。

したがって、原告の主張は理由がない。

2  通院交通費(請求額八万〇七〇〇円) 三万八四一〇円

原告は、症状固定時までの通院交通費として、三万八四一〇円を負担した(甲七一~八四、弁論の全趣旨)。

原告は、症状固定日後の通院交通費も本件事故と相当因果関係があると主張するが、前記のとおり、症状固定日以後の治療は、本件事故と相当因果関係が認められないから、原告の主張は理由がない。

3  休業損害(請求額六四〇万円) 六〇七万五六一六円

原告は、本件事故当時、有限会社丸榮堂において、少なくとも、月額四〇万円(年間四八〇万円)を下らない収入を得ていたところ、平成七年八月から平成九年二月までの一九か月間のうち、一六か月間(失業手当を受けた平成七年一二月から平成八年二月までを除く。)の収入を得ることができなかったと主張する。

証拠(甲九〇)によれば、原告は、本件事故当時、有限会社丸榮堂において、少なくとも、月額四〇万円(年間四八〇万円)を下らない収入を得ていたことが認められる。また、二1で認定した事実によれば、原告は、平成七年八月一日以降、症状固定日である平成九年二月四日までの五五三日間は、働くことは困難な状態にあったといえいるから、原告が主張する一六か月間のうち四六二日間(右の五五四日間から、平成七年一二月一日から平成八年二月末日までの九一日間を差し引いた日数)は一〇〇パーセント労働能力の制限を受けたということができる。

したがって、これを前提に原告の休業損害を算定すると、六〇七万五六一六円(一円未満切り捨て)となる。

4,800,000×462/365=6,075,616

4  逸失利益(請求額一〇一一万〇二四〇円) 五一八万八九八二円

すでに検討したとおり、原告は、症状固定時から一〇年間にわたり、一四パーセントの労働能力を喪失したということができるから、原告が本件事故当時に得ていた年間四八〇万円の収入を基礎として、ライプニッツ方式(係数七・七二一七)により年五分の割合による中間利息を控除して、原告の逸失利益を算定すると、五一八万八九八二円(一円未満切り捨て)となる。

4,800,000×0.14×7.7217=5,188,982

5  慰謝料(請求額五〇〇万円) 三五〇万円

本件事故の態様、原告の通院の経過、後遺障害の内容及び程度など一切の事情を総合すれば、慰謝料としては三五〇万円を相当と認める。

6  寄与度減額(三〇パーセント)

原告の心因的要因が損害に寄与した割合は、三〇パーセントであるから、1ないし5の損害合計額である一五〇八万〇九二三円から、この寄与割合に相当する金額を控除すると、一〇五五万六六四六円(一円未満切り捨て)となる。

7  弁護士費用(請求額二九七万円) 一一〇万円

審理の経過、認容額などの事情を総合すると、弁護士費用としては、一一〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、次の限度で理由がある。

1  不法行為に基づく損害賠償 一一六五万六六四六円

2  内金一〇五五万六六四六円に対する平成七年五月一三日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金

3  内金一一〇万に対する平成九年八月八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金(被告佐藤慎也に対し)

4  内金一一〇万に対する平成九年八月二日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金(被告株式会社東京映材に対し)

(裁判官 山崎秀尚)

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